• 1発のリスクは1発分ですので,1円には1円の価値があるというのと同様,過剰でもなんでもありません。過剰にみえるのは,読み手やあなた自身の科学リテラシーの低さを前提とした評価ではありませんか。RT @nk12 「一発でも危険なのに~」などの過剰な危険の印象を与える表現
  • @SciCom_hayashi 「一発のリスク」は「一円には一円の価値がある」に対応しますが、「一発でも危険なのに~」は、「一円でも大金なのに~」に当たります。あなたが過剰な表現をしているのです。
  • @nk12 @SciCom_hayashi 子供のお小遣いにとっての1円なのか、国家予算における1円なのか、そこを提示せずに、価値を論じるのは「1円でもお金を粗末にしたらいかん」と言う説教レベルのお話。
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  • 会津や福島の人たちが,そういった常識を共有できる人たちだと考えて発言するのかどうか,ご指摘のとおり,それは大事な問題だと思います。RT@aizujin_k 子供のお小遣いにとっての1円なのか、国家予算における1円なのか、
  • @SciCom_hayashi 福島県人はよくわかっている人が多いです。この場合の1円は国家予算の中の1円のようなもの。1円を問題にする前に、かなりの使途不明金(自然放射線)があるんですから、1円には1円の価値はあるけれど、問題する意味がありません。@nk12さんに近い意見です。
  • @aizujin_k @SciCom_hayashi aizujin_kさんは「放射線一発でも危険なのに」という表現の誇大を問題にしてますが、林さんは被災地の人にはそれは常識(だから表現に問題はない)と話をすり替えてますね。間違いを見抜ける人が多いからって間違えてはいけない。
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  • @nk12 @aizujin_k 「放射線一発でも危険なのに…」ではなく、「放射線1発にもリスクありなのに…」というのが私の表現ですが、それはともかく、「…」以降でなにを主張しているのか、それを問わないので、対決が先鋭化するのではないでしょうか。
  • @SciCom_hayashi @aizujin_k https://t.co/kj6AxxH1FY 一発でも危ないのに、と書かれていますね。そして続くのは危険を煽る言葉です。
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  • 「@nk12 事故前から無用な被曝は避けるようにしていましたよ。私は何も1発だから気にせよなどとは申していません。1発でも危ない放射線を,これだけ余計に浴びてしまっている現状を問題にしています。」
    というのが、全文の引用です。

  • @nk12 @aizujin_k 原発事故のために、天文学的数字の放射線を浴びさせられている現実をまえにする、「1発の放射線」が「過剰」かどうかという議論には、観点はちがうでしょうが、私も生産性を感じていません。
  • @SciCom_hayashi @aizujin_k 過剰な危険を煽ることの問題を林さんが理解しないことを問題視しています。
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  • ほらね。@nk12さんは、 「これだけ余計に浴びてしまっている現状を問題にしています」というが、あまりに認め難いのですね。
  • @SciCom_hayashi これだけ余計に浴びているという現状は「一発でも危険なのに」とは関係ないでしょう。
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  • @nk12 参考までに、どこまでならば過剰でないのか、お考えになっている基準を示してもらえませんか。思想警察の対象として、問題にされている。ちなみに、あなたのしたようなストーキングも警察がすれば、張り込みになります。
  • @SciCom_hayashi 現実的に危険を議論する意味のある量でしょうね。それをどこに取るかはまた議論の余地があるでしょうが、少なくとも放射線一発は違うでしょうという話をしています。グレーゾーンがあるからと言って、限りなく白いものを黒と言い張るのはおかしいというだけの話ですよ
  • @SciCom_hayashi 林さんが他者の発言や態度、立ち位置を批判されている以上、その思想警察レッテルはブーメランになると思いますけどね。自分の批判は思想警察ではなく、相手は思想警察だというのでしたらご自由に。
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  • 思想警察の取り締まりには、放射線被曝リスクの原理は不要なのですね。“@nk12: これだけ余計に浴びているという現状は「一発でも危険なのに」とは関係ないでしょう。”
  • @SciCom_hayashi また曲解する。原理の説明はちゃんとすべきだと述べていますよ。『閾値なしモデルでは理論上一発にも危険がある』という話と同時に、一発の危険は現実的には無視できることも誤解されないように伝えれば良いでしょう。
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  • @nk12 分子レベルの被曝メカニズムの理解=過剰なリスク認知だと決めつけるのが、あなたの考え方だというのはよくわかります。そこにある受けてイメージの想定が、問題だというのが私の認識です。人間はレベルが低い、だから取り締まったり、守ったりしないとならない。まさに思想警察です。
  • @SciCom_hayashi 繰り返します。原理の理解のために一発単位の危険を説明することには反対していません。相手の発言を無視して同じことを繰り返さないでください。
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  • @nk12 「現実的な危険」を決める権利があなたにあり、それをもとに、それ以上の警鐘を過剰と決められるとされているところにもまた、思想警察としてのすがたがみえています。

  • ここでは、現実的な危険を決める権利が私にあるのかと言っています。

  • @SciCom_hayashi 現実的な危険がどこにあるかは、議論して決めるべきと書いています。自分に都合の悪い文章を無視されると議論ができません。
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  • @nk12 そうやって、誤解している人がいるかどうかとはべつに、犯人を「逮捕」できてしまうのは、あなたが思想警察を任じているからです。
  • @SciCom_hayashi 「逮捕」とやらは別にしていません。
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  • @nk12 1発のリスクは1発しかないことは自明です。誤解するというのは、決めつけではないでしょうか。
  • @SciCom_hayashi 一発のリスクが一発であることは自明です。一方、「一発でも危険なのに」と書けばそのリスクが大きく見えます。一ナントカドルの価値が一ナントカドルであることは自明ですが「一ナントカドルでも大金なのに」と書けば、ナントカドルは大金に読めるでしょう。
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  • @nk12 議論して決めるべき、ということは、いまは基準が定まっていないということですよね。つまり、どこからが過剰かは決まっていない。しかしあなたは過剰だといえる。予断をもって「職務質問」「逮捕」が可能だとするのが、思想警察らしい。
  • @SciCom_hayashi 議論で決めるべきなのは、放射線の現実的な危険がどこからあるか、です。林さんは、放射線一発も避けるべき現実的な危険であるかどうかについて議論の必要があるとお考えですか? あるなら、その議論をまた始めましょう。
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  • たしかに、張り込み、職務質問と指名手配、逮捕しちゃうぞ、の掛け声くらいですね。ポリス! “@nk12: 「逮捕」とやらは別にしていません。”
  • @SciCom_hayashi 職務質問、指名手配、逮捕しちゃうぞ、の掛け声とやらが何をさしているのかわかりません。落ち着かれた方が良いかと思います。
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  • .@nk12 今日もありがとうございました。最後に、念のため申し上げておきますが、思想警察だからといってなにか糾弾しようとか、そういう意図はありません。このような事態ですから、なにか自分にできることをしようとして、そのような役回りを任じる人がでるのも自然なことだと考えています。
  • @SciCom_hayashi はい。他人を思想警察と言いつつ、そうではないという議論を打ち切るのですね。
    私は思想警察とやらではないので、放射線一発の危険が考慮すべき現実的な危険かどうかの議論を楽しみにしています。
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  • リスクあり=大金のリスクと理解するあなたは、話題の早川分類でいえば、リスクについて(安全)定性派ですね。“@nk12「一ナントカドルでも大金なのに」と書けば、ナントカドルは大金に読めるでしょう。”
  • @SciCom_hayashi リスクあり=大金のリスク、とは書いていませんね。もう一度読んでください。
    もし文章の意味がわからなかったら、詳しく解説しますので、そうおっしゃってください。
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  • @nk12 放射線には、非現実的な危険と現実的な危険があるのですね。それが、思想警察が「逮捕しちゃうぞ」の境界だと。
  • @SciCom_hayashi いえ、そんなことは書いてませんね。境界について議論しようと書いています。で、林さんは、放射線一発にも現実的な危険があるという立場で議論したいということでよろしいですか?
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  • @nk12 現実的な危険というのが、生体高分子が切断される危険性が現実かどうか、ということならば、ありです。
  • @SciCom_hayashi 現実的な危険というのは、対処を考える際に、考慮すべき量かということです。
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  • それは対処の内容によってさまざまですが、現実の基準の第1は事故前でしょうね。第2に化学物質一般の規制値を化学物質の一種である放射性物質にも適用すること。 “@nk12: 現実的な危険というのは、対処を考える際に、考慮すべき量かということです。”
  • @SciCom_hayashi その両方の基準は、どちらも、放射線一発より遥かに上ですね。一発単位を危険と考えるのは現実的ではないということでよいですね?
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  • @nk12 それから、すでに通常の化学物質曝露では許されない被曝が各所に生じているわけですから、「1発でも少なく」くらいのこころがけをしないと1万発くらいの追加被曝が生じてしまう現実を認めた上で、防護の権利を尊重すべきでしょう。いまは、あまりにも防護の権利が軽視されています。
  • @SciCom_hayashi 「余計な放射線を浴びるべきではない」という「心がけ」は、それらの放射線量に現実的な危険があると誤解させないことと両立しますね。
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  • @nk12 1発と1万発、1億発との区別がつかない人が多い場合は、ご指摘の誤解を考える現実味が高まると思います。
  • @SciCom_hayashi いえ、誤解するかどうかは一発当たりの危険をどれくらいかと考えるかによります。一発と一万発の区別がついていても、一発の危険を多く誤解することはありますね。そして、現状、放射線の危険性を過剰評価している人は無視できないほど存在します。
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  • @nk12 ふだんから少しは原発からもれているので、1発余計に被曝するくらい気にする方がおかしいと、お考えなのですね。
  • @SciCom_hayashi いえ、そんなことは言ってませんね。どこに書いてあるかを説明してください。
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  • でましたね。思想警察さんの本音。最大の問題感心。“@nk12: そして、現状、放射線の危険性を過剰評価している人は無視できないほど存在します。”
  • @SciCom_hayashi なるほど。では、林さんの考えでは、今、日本に、放射線の危険性について過剰評価している人は無視できるほどしか存在していない、ということでよいでしょうか?
  • @SciCom_hayashi 私は議論の、前提を述べており、それが林さんと異なるならすり合わせる用意があります。前提を述べただけで思想警察になるならどんな人でも思想警察になることは避けられません。
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  • @nk12 あなたのような前提、根気、頑張りがあるから、思想警察たりえるわけですから、誰でもできるというのはまちがいです。事故前よりも被曝が増え、化学物質一般相当の年10マイクロを広範に越え、それでも政府は再稼働しようとしている現状で、なにが過剰だというのでしょう?
  • @SciCom_hayashi なるほど。特定の議論の前提を持つと「思想警察」なのですね。では、その特定の前提と思想警察にならない前提はどなたが決めるのですかね? そして、被曝が大きいことと被曝を過剰評価することは独立に成立しますよ。
  • @SciCom_hayashi 林さんのご意見では「事故前よりも被曝が増え、化学物質一般相当の年10マイクロを広範に越え、それでも政府は再稼働しようとしている現状」なら、何を言っても過剰評価にはならないということですか?
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  • @nk12 https://t.co/oUn9xzsG0V のとおり、過剰かどうかは議論してから決めるとしているの、過剰な人がすごい数いると断言されています。あなたはそのうち、どれだけの方と議論したのでしょう?
  • @SciCom_hayashi いいえ、「すごい数いると断言」などしていません。「無視できないほど存在」していると書いたのです。仮に割合的に少ないとしても、日本国民の数からすると無視できない数が存在しているという考えですね。修正をお願いします。
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  • @nk12 放射能汚染よりも、放射能を問題する思想を問うのが思想警察役割です。政府の施策のもとにいて、それ以上の対処を求めている人に矛先を向けるわけですから、施策に反対している人が追うようなリスクもない。この点は、自警団的思想警察たるゆえんです。

  • 政府の施策に反対してる人を批判することが、林さんにとって思想警察の重要な条件のようです。
    私は、思想の自由というのは、権力側、反権力側、双方に認められるべきかと思います。
    もちろん、反権力側は弾圧されやすいので、その言論が保障されるよう、より気をつける必要がありますが、しかし「放射線一発でも危険だから~」というのの問題を指摘することが、その範疇とは思えません。

  • @SciCom_hayashi つまり「放射能汚染がある時、放射線の危険性をいくら過剰に訴えても無視すべき」というのが林さんのご意見ということで、よろしいでしょうか? 私はそうは思いません。
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  • @nk12 思想警察らしい見込み操作ですね。もうやめましょうか。
  • @SciCom_hayashi いえ林さんの前提からするとそうなるというだけの話です。私は放射線危険論も安全論も間違いがあればどちらも訂正すべきで何が間違いかは議論して決めるべきだと言っています。放射能汚染の現状では過剰な危険など、という態度と比べどちらが思想警察的でしょうか?
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  • @nk12 「思想警察」は、私のことばですから、決めているのは私であり、だれが決めるのかという問いは無意味です。ある前提で定義しているわけですから、特定の前提で決まるのも当然です。このツイートは、いままでのあなたのツイートのなかで最高度に無意味です。どんどん議論が無内容化してます

  • 現実的な危険がどこかを決める権利は私にはないようですが、その一方で、誰が思想警察かを決める権利は、林さんにあるようです。
    あるいは、その論法を理解できず、「自分の発言の責任は自分にある」という当たり前の話でお茶を濁しています。

  • @SciCom_hayashi なるほど。つまり誰が思想警察かを決めるのは林さんである、ということですね。参考になります。
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  • @nk12 言葉を発する以上、その定義をもっておく責任が発信者にあるというのは、言論の世界では常識です。ご参考にしていただけて、よかったです。
  • @SciCom_hayashi はい。その通りかと思います。それと他人を独断で思想警察呼ばわりすることとは、私の中では結びつきませんが。
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  • ここは了解です。少しいるというお考えですね。“@nk12: いいえ、「すごい数いると断言」などしていません。「無視できないほど存在」していると書いたのです。仮に割合的に少ないとしても、日本国民の数からすると無視できない数が存在しているという考えですね。修正をお願いします。”
  • @SciCom_hayashi 「仮に割合的に少しだったとしても総数としては無視できない」という話をしています。さて、無視できない数がいる、ということはご同意いただけたということでよろしいですか?
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  • @nk12 さん。この質問も、無内容ですよ。「どんなに…」という無限の可能性を示唆しているところで、限定がいっさいないのは、おわかりのはず。自省お得意なんでしょ。ところで、1発の放射線でも1億発分の放射線と同じ量のリスクがあるといえば、その1発分は過剰だと、私も思いますよ。
  • @SciCom_hayashi すいませんが「どんなに…」で無限の可能性を示唆している文章はどれですか? 次に、理論上は、一発でも一発分余計、と言えるでしょうね。しかし、今、ここで議論しているのは、一億発と一億一発を区別するのが現実的かということですか。
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  • @nk12 過剰だというのならばその基準を示すことも責任ある態度でしょう。その基準は、議論で決めるというのならば、どうぞ無視できない数の方々と議論した上で、決めてください。決まってもいない基準をもとに、過剰だと決めつけられても…。
  • @SciCom_hayashi その基準をどこに置くかは、様々な議論がありえます。年間100msvかもしれないし、10μシーベルトかもしれないしその間かもしれないし、それ以下かもしれない。が、少なくとも「放射線一発」よりは遙かに上だろうという点で多くの人が合意できると考えます
  • @SciCom_hayashi もちろん合意しない人もいるでしょうし、林さんが合意されないというのであれば、議論をしましょう。で、林さんは、
    「放射線一発」の過剰が、現実的な危険であるという立場ですか、そうでないのですか?
  • @SciCom_hayashi 基準を示せといいますが、放射線の危険をどこから対処すべきかは議論の余地はあるわけですが、少なくとも「100シーベルト」は致命的でありどんな楽観論者でも浴びてOKとは言いません。「厳密な値」には議論があっても極端な値については合意があるのです。
  • @SciCom_hayashi ゆえに、低線量被ばくをどこまで重んじるかの数値に議論があるとしても、「少なくとも放射線一発は無視できる」という合意に達することができる場合もあるわけです。もちろん林さんが合意しない立場を代弁するのであれば、議論しますよ。
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  • 上記4つのツイートは、返答し忘れていたので、議論終了後に、後から返答したものです。
    現実的な気にすべき放射能の厳密な値には確かに議論があり幅があります。
    しかし、幅をどれだけ多くとったにせよも、「放射線一発」よりは大きいという点では、十分合意できるだろう、と、思うのですが。

  • https://t.co/7YxW8SXK8O です。ただし、無限の可能性を示唆している表現は「いくら…」でした。“@nk12: @SciCom_hayashi すいませんが「どんなに…」で無限の可能性を示唆している文章はどれですか? ”
  • @SciCom_hayashi なるほど。一つ前のリプライなのですから正確な引用をお願いします。で、無限の可能性を示す「いくら…」を否定するなら、放射能の危険性を強調するものについて、この表現はダメというのもあるということでよろしいですね?
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  • @nk12 マルチ画面がやりにくいiPadでのやりとりに疲れてきました。なにかの現象を切り取ったある言説は、しょせん言説にすぎません。複雑な現象の全部をかんたんな言説で表現し切るのは困難。言説のよしあしは、総合的に判断するしかない。あなたが言論人ならば実感していることでしょう。
  • @nk12 言説のある側面だけをとりだして過剰だとかないとか論じるのは、生産的ではない行為だというのも、実感されることしばしばではないでしょうか。思想警察は、生産性を問わず、思想取り締まりを旨とします。このやりとりで、その性格がみえてきたので、思想警察言説の有効性実感しました。
  • @SciCom_hayashi 総合的に判断できるように、総合的な議論を行い、安全性、危険性の両面から判断できるようにした方がいいという話をしています。
  • @SciCom_hayashi さて、この場合の具体的な文脈は、「放射線一発でも危険なのに」という話であり、低線量被曝一般でもなければ政府の無策についてでもありません。私はこの文章は、単体で読むと余計な危険を想起させると思います。この文脈なら問題ないというならそれを示してください
  • @SciCom_hayashi ですから、具体的にこの言説はこのような文脈で問題があるという話をしているのです。それでも広いと林さんが思われるのなら、より細かい例を挙げれば良いでしょう。
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  • @nk12 どうせ思想警察はるならば、危険を煽る内容よりも、その言説の発信者の目的とか、活動に巻き込まれてる人の巻き込まれている理由を問題にしたほうが生産的。私も先日某活動家がの不勉強な言動にたいし、脱原発の仮面をかぶって活動を妨げるようなことするなと意見しました。つぎは生討論を

  • 林さんは、ご自身が思想警察ぶって他人に意見したことを書いています。興味深いです。

  • @SciCom_hayashi 特定の話題について語るべきでそうでない話題をかたるべきでないという態度こそが、思想警察的かと私は思います。私も、すべきと思う議論はありますが、反論やそれ以外の議論、をしたい人はすべきと思いますし、それができるのが大切と思います。
  • @SciCom_hayashi 申し訳ないですが、ログが残り文脈が辿れるはずのオンライン議論でも、これだけ紛糾するのですから、口頭で議論して状況が改善するとは私には思えません。
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